ebiten96の趣味ブログ

東大生による趣味ブログ。割と色々な趣味について書く予定。各趣味の本質に踏み込みたい。

「きみの色」公開前に、山田尚子監督作「たまこラブストーリー」を考察する

(C)京都アニメーション/うさぎ山商店街


今週のお題「名作」

 

こんにちは。現在東京大学大学院修士2年のebiten96と申します。よろしくお願いいたします。この後は常体(だ、である調)で書いていきますが、どうかお目溢しを。

 

さて、就活に疲れ気晴らしがしたいが、日頃している趣味もマンネリ化してきたのでブログを始めることにした。どうやら毎週特定のお題でブログを書く企画があるらしく、今週はお題が「名作」だったため、最近見た映画であるたまこラブストーリーについて書いていく。本作の監督は山田尚子さんで、映画「けいおん!」、「聲の形」、「リズと青い鳥」などを手掛ける。思春期の若者たちのみずみずしい感情を描くのに非常に長けており、いずれの作品も作画のみならず、音響、色彩、演出に至るまで丁寧に作り込まれている。ぜひ繰り返し見てほしい作品群だ。さらに近日、新作映画「きみの色」が公開される。プロデューサーの川村元気さんは、新海誠監督の次は山田尚子監督で稼ぎに来たようだ。拝金主義を否定するほど潔癖ではないが、どことなくモヤモヤするのは、きっと山田監督に魅せられた人々(自分を含む)の欲求を的確に見抜かれ、掌の上で踊らされている感があるからだろう。実際「きみの色」は楽しみにせざるを得ないし、大作を山田監督が手掛ける機会を生んだ川村プロデューサーには感謝せざるを得ない。はっきり言って、山田監督の作品を、川村プロデューサーが大衆向けにディレクションするならば、流行らないわけが無い。さらに言えば、新海監督作「君の名は」の公開日は 8月26日であり、山田監督作「きみの色」の公開予定日は8月30日である。完全に味を占めている。だが、本当に「君の名は」が巻き起こしたムーブメント以上の反響があっても何らおかしくはない。そんなわけで、山田尚子さんの名が世に轟く一足先に、彼女の作品たまこラブストーリーを紹介したいと思ったわけである。

 

内容の考察の前に、まず自分が「たまこラブストーリー」にどれくらい感動したかについて述べる。先々週の土曜にamazon prime(通称アマプラ)でレンタルし、初めて見た。レンタル期間は2日だったが、その間に少なくとも通しで5回は見た。文脈が失われるため視聴体験上良くないと思いつつも、ラストシーンだけでも10回以上見た。作品冒頭、「by always thinking unto them」(常に、そのことばかりを考えていただけだ)という言葉が映し出されるが、私自身、まさにそういった感じだった(この文言については後で言及する)。その週末は四六時中たまこラブストーリーのことを考えていて、就活の諸々には手がつかず、ESをいくつか出し損ねた。そのくらい人の心を奪うポテンシャルを持つ作品である。気になった方はぜひ、TVアニメ「たまこまーけっとと合わせて見ていただきたい。

 

考察に踏み込む前に軽く作品の概要を説明する。「たまこラブストーリー」は、京都アニメーション(通称京アニ制作のオリジナルアニメたまこまーけっと」の続編となるアニメ映画である。主人公で餅屋の娘・北白川たまこと、その幼なじみ・大路もち蔵の高校3年生同士の恋模様を描く。京アニが手がけ、高い評価を受けた作品である「けいおん!」、「響け!ユーフォニアム」、「氷菓」などと同様、主人公は一介の高校生であり、個性的ではあっても特別の力を持つわけではない。これらの作品群は、作中でセンセーショナルな事件が起きるわけではなく、現代日本の高校生が体験し得る日常を描くものであり、近年流行りがちな、非現実的な設定・イベントに起因する劇的なドラマを描く作品群とは、物語としてのスタイルが全く異なる。描かれるのは派手なアクションや幻想的な背景美術ではなく、登場人物たちの息遣い、みずみずしい感情である。高い作画力・音響へのこだわり、緻密な演出、繊細な色彩などにより、それらを描き切ることができる、稀有なアニメ制作会社である京アニの力が、本作品にも遺憾無く発揮されていたと思う。本作品は2014年公開であり、第18回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門新人賞を受賞した。

 

それでは、考察に入っていこうと思うのだが、ここで本記事の方針を明言しておく。今後あらすじや言及シーンの詳細な説明はしない。そもそも「たまこラブストーリー」の考察を漁るような人には必要ないだろう。この記事をたまたま見てくれた人には不親切で申し訳ない。ただ、「たまこラブストーリー」を見たことがない人にとっても、後に本作品を視聴した際に、初見の感動と同時に深い作品理解を得られるような考察を目指す。また、作品理解のキーとなるアイテム・概念・知識と、登場人物たちの心情・行動の重なりについて各論的に述べ、解釈も記すが、それを絶対唯一のものだとは思わないでほしい。著作権の問題でストーリーの内容に深く踏み込めないのもあるが、何より作品の解釈はそれぞれの視聴者に委ねられるべきだと思うからだ。あくまで作品解釈の材料として、この記事を参考にしてほしい。作品未視聴の方はよく分からないかもしれないが、この「たまこラブストーリー」という作品が、子供騙しで紋切り型の青春恋物語ではなく、深い考察の楽しみを味わえるような、極めて丁寧に作り込まれた作品であることを感じてもらえれば幸いである。一応補足しておくと、物語自体は極めてシンプルで、普通の試聴で問題なく楽しめるし、心に深い感動を残す。実際、私が本作を視聴したのは、徹夜で準備した発表を研究室で詰められ、心身ともに疲労のピークに達した状態だった。本作は、考察・深い作品理解がなければ楽しめないといったような作品ではなく、皆んなが楽しめるように、という気遣いに満ちた作品である。そして、それは登場人物の心情や行動・発言を細やかに読み取ろうとする視聴者にも向けられているのだろう。二度目の視聴時には、あらゆる演出に込められた寓意に驚かされた。

 

本作は映画好きの方も、そうでない方も楽しめると思う。是非ラストシーンの感動と、作中の演出に込められた思いを味わってほしい。

 

それでは、考察をしていく。

 

 

糸電話

作品視聴者にはもはや説明不要。たまこともち蔵の心をつなぐ大切なもの。あるいは心そのもの。ちなみに無線と同様に、送受信(話す・聞く)を同時に行うことができないため、話し終わった時に「どうぞ」とつけるのは合理的運用であり、単なるごっこ遊びではない。

もち

何故たまこがもちのことばかり考えているのか、前作「たまこまーけっと」では餅屋の娘であると言うことくらいしか説明がなかったと思う。しかし本作で、たまこがもちに向ける思いには、優しく暖かかった母への憧れ、そして母を失い、悲しみに沈む自分を励ましてくれた思い出が重なっていたことが明らかになる。たまこにとって、もちは他者に優しく手を差し伸べる存在であり、もちを食べるのはその暖かさを感じ、自分の一部にする行為なのかもしれない。

しかし、河原でのシーン以降、もちはもち蔵をイメージさせるものへと変わる。そして、今までとは異なるもちへの向き合い方を迫られることになった。

長い葛藤を経て、励ましの思い出の再解釈と、母の贈りものが、ついには新しいもち蔵への向き合い方にたまこを導く。そして、これまでたまこがもちに向けていた思いに、もち蔵への思いが自然な形で重なったとき、、、

これ以上は語るまい。ぜひ物語のラストシーンを自分の目で見てほしい。

言いたいことは、もちへの思いともち蔵への思いの重なりは、単なる言葉遊びやその場の流れ、青春特有の勢いではなく、母の愛思い出という普遍的なテーマから極めて丁寧に引き出されていることだ。

ニュートン

作品冒頭、月と地球が描かれた後に、「by always thinking unto them」(常に、そのことばかりを考えていただけだ)という言葉が映し出される。これは言わずと知れた偉大な科学者アイザック・ニュートンの言葉である(とされている)。出典が失われており、この言葉が放たれた正確な文脈はわからなかったが、「なぜ(万有引力のような)偉大な発見ができるのか?」という質問に対する答えとして放たれたとする説が多い。

この言葉は冒頭で出たっきり、作中で何も触れられることもないし、ニュートンも作品には出てこない。なので初見の時は、いきなり宇宙が描かれたことに驚いたものの、作品終盤ではこんなシーンがあったことすら忘れていた。恐らくこれは繰り返し見る視聴者に対し、「何にインスピレーションを受けてこの作品を作っているか」というヒントを与えるものだろう。本作の監督である山田尚子さんは、インスピレーションを数学・物理的事象から受けることが多い。例えば「リズと青い鳥」と言う作品では数学用語である「互いに素」からインスピレーションを受けている(さらに言えば、現在製作中の「きみの色」では「波」に着想を得ていると私は考えている)。本作ではニュートンにまつわる諸々がキーとなる。

by always thinking unto them

まず、「by always thinking unto them」について。直訳すると「常にそれらに考えを向けることによって」である。ここで考えるべきは、「それらとは何か」、「そのことによってどうなるか」だろう。もち蔵、たまこの立場でそれぞれ考える。もち蔵が常に考えていることは、たまこのことである。そしてどうなるか。恋に落ちるのである。本作の主題であり、作品上極めて重要なことだ。一方、たまこが常に考えていることは、もちのことである。ただし、もちと言うシンボルの最前面に重なるものは、作中で変化する。中盤以前は母の愛以降はもち蔵である。そしてどうなるか。前作「たまこまーけっと」と、本作中盤までは、母と同様に、家族や友達、商店街へ差し向ける愛情の深さが描かれていた。そして中盤以降は、もち蔵への思いと向き合う葛藤を経て得られる、たまこの気づきと成長が描かれる。

ラブストーリーとは、愛を描く物語である。そのコンテクストでは、もち蔵が愛を伝える勇気と、たまこがその愛に応える決意こそが、最も神聖なものだ。そしてそれらは、もち蔵が幼少期からたまこに向ける一途な思いと、たまこがもちに重ねて育んできた愛情が実らせるのである。意外かもしれないが、ニュートンもまた神を、そしてその御業を信じた。世を包む神聖な真理に思いを馳せ続け、ついには見出したのだ。

月と地球

本作冒頭で月と地球が描かれた。そして作中では、たまこの親友・常盤みどりが、もち蔵に対して「もち蔵がたまこのことをずっと見ている」「たまこの周りをぐるぐる回っている」という趣旨のことを言い放つ。つまり、月にもち蔵、地球にたまこを重ねるのが妥当だろう。恋に鈍感で、日常を愛して日々を過ごすたまこが地球。たまこに恋をして、その周りで右往左往するもち蔵が、地球の周りを回る月。本作中盤までの、種類は違えど互いに愛を向け合いながら、一定範囲の距離感を保ち安定するたまこともち蔵の関係を表すと考える。そして、そこには万有引力という宇宙の真理が作用しているのである。また、公転と自転の周期が等しいため、月は一つの面しか地球に向けない。つまり、月は地球のことをずっと見ているのである。

 

常盤みどり

たまこの親友であるみどりは、たまことの安定した関係を崩せないもち蔵(と自分)の態度に複雑な思いを抱いている。みどりの抱く乙女心は極めて言語化するのが難しい。彼女の内心は常盤色のヴェールに隠されている。もしかすると、乙女心とは世界の神秘であり、いかに創作物といえど悪戯に公に晒すものではないのだという主張なのかもしれない。乙女心の不確定性原理と名付けでもしようか。彼女の胸の内については、皆それぞれで解釈してほしい。

だが、本作を経て彼女も成長したのは間違いない。少なくとも、守護者としての依存を乗り越えたみどりは、これからもっといい顔を見せてくれるのだろう。

星空・宇宙

加筆予定

林檎

本作冒頭直後、つまりニュートンの言葉が映し出された後、店番をするもち蔵が弄んでいた林檎が地面に落ちるシーンでタイトルが登場する。この場面は、ニュートンが林檎の落下から万有引力を見出した逸話と結びつけるのが自然だろう。だが、林檎がカウンターから落ちた瞬間には、もち蔵はすでにその場から去っている。つまり、見ているのは我々視聴者であり、真理を見出すべきも我々である。何の真理か。林檎の横のタイトルが示している。愛の真理である。つまりこのシーンは、これからこの映画で、愛の真理を描くのだという視聴者へのメッセージだ。しかし、林檎が落ちる瞬間、その場を立ち去っていたもち蔵は、未だにこの世界を遍く包む愛の真理を知らない。そして本編が始まっていく。

次に林檎が登場するのは、エンドロールである。自主制作映画のような表現の中、たまこやもち蔵の同級生たちに追い立てられた林檎は、廊下に立つたまこの頭に登り、落ちる。林檎が落ちるのは冒頭と似たような表現だが、決定的に違うことがある。それは、目撃者が誰かということだ。冒頭では視聴者だった。しかし、エンドロールでそれを目撃するのは、エンドロールに流れる映画の撮影者、すなわちもち蔵である。エンドロールにもち蔵の姿は(影を除いて)一切出てこない。しかし、彼が愛の真理を捉えたことは雄弁に語られている。

もう一つ、林檎の持つ意味合いとして、口にすれば楽園から追放される、禁断の果実=知恵の実というイメージがある。転じて、引き返すことのできない選択を連想させる。初めはこの意味合いも含ませていると思った。本作のテーマは、恋物語であると同時に、日常という揺り籠からたまこやみどりが脱却する成長物語のように思えたからだ。しかしながら、試聴を繰り返すにつれ、その考えを改めた。林檎は禁断の果実ではなく、真理をもたらす福音である。そしてこの物語は、愛の物語であると同時に、日常の拡張の物語である。作中、たまこは商店街の皆や両親が、いろいろなこと(例えば恋という不安定なドラマ)を乗り越えた先に、自分を優しく包む日常を築いていたことを悟る。その時芽生えたのは、もち蔵の(そして自分の)恋心に向き合った延長線上にあるかけがえのない日常の予感だろう。最後まで、どうしてもち蔵が東京に行ってしまうのか、たまこにはわからない。踏み出す勇気は得たけれども、実家の餅屋を愛し、商店街を愛し、日常を精一杯愛する彼女はきっと変わらない。そんなたまこの元に、東京に行ってももち蔵は帰ってくる。そんな優しい世界への回帰の希望が、瞬く星々のように、たまこ達の行く末を照らしているのだ。

 

後書き

たまこラブストーリーについての考察を、思うままに書かせてもらった。こじつけに近い解釈もあったかと思うが、読んだ方に何か気づきを与えられていれば幸いだ。他にも、バトン、S極N極、恋の歌、たんぽぽ・綿毛、風船など、考察の余地を残すシンボルは多いので、自分でも考えてみてほしい。繰り返しになるが、まだ本作を見たことのない方はぜひ見ていただきたいし、一度見た方も二度三度と繰り返し見てほしい。見るたびに解釈は広がり、宇宙的な愛の真理へと誘ってくれるだろう。

この考察の内容は、友人との語らいが着想をもたらした事柄も多いことを明記しておく。ちなみにその友人は、「揺り籠からの脱却」がテーマだという考えを曲げなかった。その解釈を否定はしないが、私は受け入れもしない。物語は苦さも味わいになるが、最後はハッピーエンドが一番だ。そして、我々は知っているはずなのだ。禁断の果実を口にせずとも、地球を超え宇宙をも包みこむ、偉大な真理を手にした男のことを。